岩坂彰の部屋

第10回 翻訳者コミュニティという文化

岩坂彰

「電脳空間(サイバースペース)」という言葉は今では死語になってしまったようですが、私が初めてその電脳空間に触れたのは、1991年のことでし た。今から20年近く前、まだ日本には商用インターネットがなかった時代です。インターネット以前の通信仮想空間は、「パソコン通信」と呼ばれるネット ワークサービスの上に成り立っていました。

昔のパソコン通信画面
昔のパソコン通信画面を復元してみました
(クリックすると拡大できます)
写真もなく、色もなく、文字だけです。これは92年5月の私の書き込み。a.i.というのは当時の私のハンドル名です(運営スタッフになってからは根津藍と称していました)。実際のやりとりの例は、翻訳家の青木薫さんのHP上に保存されている『金枝篇』読書会で見ることができます。

 電子掲示板(BBS)に書き込みをすれば、会ったこともない、けれども同じ関心を共有する人から反応がある――それは衝撃的な体験でした。それま での人間関係というのは、血縁か地縁(学校の同級生や会社の仕事関係者も含めて)に限られていたわけですが、まったく新しい第3のグループが出現したので す。しかも、この人間関係は、たまたま同じクラスになったというような偶然の産物ではない、同じ思いを抱えて世界の中で必然的に出会った人たちとの関係で す。コンピューターネットワークは社会を変える、そんな昂ぶった気持ちで私は電脳空間に足を踏み入れたのでした。

 ニフティサーブの「翻訳フォーラム」は、プロの翻訳者や翻訳学習者が集まる場でした。質問をする人、答える人、翻訳論をぶつ人、毎日、人の書き込 みを読んでレス(response)をつけるだけで何時間もかかったものです。当時私は勤めていた出版社を辞め、フリーランスで翻訳書の編集を請け負いな がら翻訳の勉強を続けていました。翻訳学校にも通っていましたが、翻訳フォーラムでの活動がいちばんの勉強だったと思います。「チャット」と呼ばれるリア ルタイムの会議で、誰かが課題を出し、その場でみんなで訳して、ああだこうだと叩き合う。それはそれは厳しくも楽しい時間でした。

けれども幸せなときは長くは続きません。会員が増加すれば、それぞれ求めるものも違ってきます。運営の方向性をめぐってフォーラム内で対立が生じた り、ときには人を中傷する書き込みが現れたり、著作権が問題化したりと、運営チームに加わっていた私としてはストレスが溜まるいっぽうでした。結局私は 1995年ごろ、つまりインターネットが普及を始めたころに、翻訳フォーラムから「引退」してしまいました。

翻訳フォーラムはその後、パソコン通信からインターネット上に移行し、さらに2005年にニフティがこのサービスを停止した後は独立したグループとなり、現在も活動を続けています。前置きが長くなりましたが、私の引退後に翻訳フォーラムに参加され、その後のインターネット時代のフォーラムを長く運営されてきた井口耕二さん(昨年、本マガジンに寄稿されています)、高橋さきのさんとの対談を掲載します。テーマは「翻訳者コミュニティのあり方について(翻訳フォーラムを中心に)」です。

高橋さきの
高橋さきのさん。翻訳という作業において実際に翻訳者が何をしているかということを、深く見つめていらっしゃいます。

岩坂:お二人は10年以上にわたって翻訳フォーラムの運営に携わってこられたわけですが、お二人から見て、翻訳者、つまりプロの翻訳家や翻訳学習者が横のつながりを持つメリットというか、意義はどこにあると思われますか?

高橋:私たちが学習者の横のつながりについて語るのが適当かどうか。というのは、翻訳フォーラムには、翻訳の仕事をはじめたばかりという方たちはいらっしゃるんですが、翻訳学校に通い始めましたというような方は、実はここ数年いらっしゃらないので。

井口:少なくとも、書いている方はいらっしゃいませんね。読んでいる方はいらっしゃると思うのですが。

岩坂:ではプロの翻訳家の横のつながりということに話を絞りましょう。何を目指して翻訳フォーラムがずっとあり続けているのか、というあたり、いかがでしょう。

まず第一に、世界が広がる

高橋:翻訳フォーラムがなかったらどうだったかという話をすると、90年代に関して言えば、これがなければまったくの一人だったわけです。井口さんも私も、直接の師匠やその知り合いを除けば、誰も知っている人がいなかったのです。

井口:私は本当に、この世界に知っている人が一人もいない状況でした。

岩坂:ということは、もう、翻訳者と知り合えるというだけでも、単純にメリットなんですよね。

高橋:そう、ここで翻訳の話ができる、というだけで。

岩坂:話のできる相手がいる。それは本当に基本的だけれど、大きなことですよね。

高橋:もう少し言えば、同年代の、というかいろんな年代の、と言うべきなのかもしれないけれど、翻訳者たちと「貸し借りのない」つきあいができたことかな。

岩坂:なるほど。それが第一の利点でしょうね。他に、仕事に関係するメリットというのは何かありますでしょうか。

井口:私の場合は、エンジニアとしての狭い範囲の専門の仕事をしていたんですね。で、翻訳 フォーラムに来て、はじめて他の仕事をしている人と知り合った、と。専門の部分は考えなくてもできちゃうんですけど、専業の翻訳者になろうと思うと、いろ いろ幅も広げなきゃいけない。やり方も変えていかなきゃいけない。そのあたりをあれこれと、それはそうしなきゃいけない、それは違うだろうとか話をした り、非常に学ぶものが多かったと思いますね。それまでは会社の仕事で中辞典しか持っていなかったんですが、他の人の質疑で「こんな辞書も引いてないの?」 なんてやっているのを見てあわてて辞書を買いに走ったり、最初はそんな感じでしたね。

高橋:私は特許がメインで、仕事を始めて10年以上経っていたんですが、そのころ科学論のよう な本の翻訳もやっていて、翻訳っていうのはもしかして全然違うことのあいだにも共通の要素があるのではないかとか、翻訳論というようなものがあるのではな いかと思っていた時期にいろんな人に出会って、それをぶつけてディスカッションして、勉強していける場があったということ、それもふつうではない量の刺激 を受けながら自分で場を広げていけたということが大きかったと思います。

コミュニティの維持のコツ

岩坂:メーリングリストなどで勉強会をされているグループはたくさんあるようですが、なかなか続かないという話も耳にします。お二人は10年以上ずっと翻訳フォーラムを維持されているわけですが、コミュニティを続けるコツのようなものはありますでしょうか。

高橋:勉強会というかたちは、今の翻訳フォーラムではそんなにできていないんですが、むしろふだんのQ&Aの中で、そこから掘り下げてああでもないこうでもないと言い合う、というところが他所と少し違うかなと思いますけれども。

井口耕二
井口(いのくち)耕二さん。Buckeyeというハンドル名のほうが通りがいいかも。翻訳支援ツールSimplyTermsにはお世話になっております。

井口:何か話が出ると、それに関連して、本題の続きだったり、本題からちょっとずれたところだけれども、ここの部分がどうこうという感じで伸びていったり……

高橋:たとえば辞書の話をしたときに、この辞書がありますよというだけではなくて、こんな風に引いたらこれが出てくるとか、具体的なところに行くとか。

岩坂:具体的な話に展開するってことですね。それと、私は、コミュニティの難しさの中には、多様な参加者、つまりプロの翻訳家とタマゴあるいは学習者たちの差という部分があるのではないかと思っているのですが。

高橋:翻訳フォーラムでは、「駆け出し」の人がたくさんそこにいて勉強しているだろう、という ことを想定して話をしているので、自分たちはもう分かっちゃったよね、という内容をもう一回書くわけです。それが大きなポイントで、10年選手20年選手 だけだったらたぶん会話が続かないと思うんです。初歩的なことから書く、しばらく経ったらまた書く、2行ですむところを5行書く、ということをみなさんほ んとに丁寧にしてくださっています。そこから話の糸口ができて、わからなければ質問をするという場ができあがっているのだと思います。

井口:そのあたりは、言ってみれば場の文化みたいな感じですかね。

岩坂:なるほど。場の文化。それが翻訳フォーラムが育んできたものなんでしょうね。

井口:私もそうだったんですが、そういう風に書く人が何人かいると、あ、これはそうするものなんだと思って、何となくあとの人たちもそういう風に書くようになる、ということかな。

岩坂:文化、ですねえ。

高橋:すごいなあ、という人が、背中を見せて仕事をしている場を見せてくれる、ここはこういう 風に僕は考えているんだ、ということを出してくれる、そういう方のちょっとした一言ではっと気づかされたりということが何度もありました。その一方で、私 から見ると「若造」にあたるような人から指摘されてやはりはっと気づかされたり、けっしてフラットな会話じゃないんだけど、気づき合える文化というのは実 りが多いと思います。

岩坂:場を作る人の心と、組み合わせというところなんでしょうか。でも、そのための運営者の努力というのがあるんじゃないですか?

井口:運営している私と高橋さんにも、こうしたいという思いはありますが、だけどやっぱり集まった人の力のほうが基本的には大きいので、運営者が無理やり引っ張ったってついてこないですよね。ついてくる必要もないわけですし。なかなかいろんな意味で難しいですね。

高橋:だけど、最後に依って立つのは、要するにどう訳すか、何を使ってやるかという一点ですから、どうやっても共通点が残るというのがありがたいですね。

今後の翻訳フォーラムは

岩坂:それでは最後になりますが、今後お二人が翻訳フォーラムや翻訳家のコミュニティに何を期待したいかというあたりをお伺いしたいと思います。

井口:うーん。

岩坂:期待することはない、ですか?

井口:新しいことは実はあんまり期待していないんです。コミュニティっていうのは新陳代謝して いかなきゃいけないわけで、新しく入ってきた人たちが前からいる人たちの姿を見て、成長して、その中で巣立っていく人あり、残って新しく入ってくる人の成 長のもとになる人あり、というかたちで、全体としては同じでも中身は新陳代謝しながら続いていってくれるのがいいのかなと思います。仕事を始めたときに、 一人では分からない、たとえば本からは得られない、でも人とのいろんなやりとり中から得られるものは山のようにあると思うので、こういうかたちで連綿と続 いていくのがいいのかなと。

高橋:中身の側から同じことを言うと、いつも新鮮な気持ちで翻訳についていろんな側面から心おきなく話せる場を維持していければと思います。

岩坂:こういう場を残していく、あるいは作っていく努力は、われわれがしていかなければいけないんでしょうね。ほうっておけばなくなってしまう。

高橋:メディアはどんどん変わってきて、SNSやブログといったかたちもでてきたわけですが、 そういうかたちは、必ずしも翻訳という込み入った話をするのに良いかたちではないようです。95、6年ごろに完成されたパソコン通信のかたちに、プッシュ 型の「メールでも届きますよ」というのが加わった今のあり方は結構使い勝手が良くて、今後、外の世界の変化にも目配りしながら、うまく続けていきたいと 思っています。

井口:これまで翻訳フォーラムもいろいろ変化のときがあって、そういう大きな節目のときには、 どうしよう、やめようか、という話が何度も出ているんですよね。ほかにもいろいろコミュニティができて、役割は終えたのかもしれないっていう話ですとか。 けれども、それぞれの場が持つ雰囲気というのはやはり大きく違って、翻訳フォーラムのようなものはなかなかないようで、まだこのかたちで続けていく価値は あると考えています。

岩坂:今日は、どうもありがとうございました。

※この対談記事は、2008年12月15日に3人で行ったSkype会議の録音を岩坂が整理し、井口さん、高橋さんの了承を得たものです。

(初出 サン・フレア アカデミー WEBマガジン出版翻訳 2008年12月22日号)